バイトの挫折。障害という選択肢
こんにちは。最近練乳ラテという可能性を発見しました。ニシタイです。
突然ですが、私バイトを辞めることにしました。
端的に言って、限界を感じたのです。体力的にもそうですし、接客業なので今の私では頭がついていかず、根性で続ける事も出来ますが、これ以上迷惑はかけたくないという、結局の所自分本位の理由で辞めることにしました。
それともう一つ、実は私はうつ病の治療を始めてからカウンセラーや主治医に度々「軽度の発達障害の可能性が濃い」と指摘されていました。
発達障害というと、皆さんはどのようなものを思い浮かべるでしょうか。
発達障害は非常に定義が広いので難しい所ですが、私の場合は恐らく高機能広汎性発達障害、あるいは自閉スペクトラム障害、アスペルガー症候群と言うとピンと来る方もいるのではないでしょうか(今は専門的には使われませんが)。
簡単に言うと、「コミュニケーションと複雑な情報処理に困難があるものの、学習や知能に遅れがない」という状態です。
健常者と重度の人の中間、グレーゾーンであり、いわゆる大人の発達障害というのが私のそれに当たります。
このことについてはまた別の記事で書きたいと思っていますが、実際に三ヶ月働いてみて、どうしても他の人のように仕事が出来ないし、社会復帰の前に自分の持っている障害にきちんと向き合う必要があるな、と思ったのも辞めることにした理由の一つです。
今はもどかしいけれど療養に専念して、発達障害のことも一度専門機関できちんと検査して、障害があるなら自分に何が出来て、何が難しいのか理解し、援助が受けられるなら受ける。だから今は負担が大きく、自分に適していない可能性が高いこの仕事を手放す。これが私の選択です。
今回はうつ病ともマイコプラズマ感染症とも関係ない話でしたね。
しかし、その二つの病気に加えて、発達障害、そして高卒の無職となると、これだけでもこの日本においてこれ程不幸な人間もいないなと、自惚れてしまいそうです。
この選択に当たって、周囲の意見は賛否両論でした。
父や主治医は無理する必要はないと言い、母や店長には今やめるのはもったいないと引き止められました。
私はたくさん悩んだ上で最も納得できる選択をした自信があります。
ただ、周囲がどうだからとかではなく、自分のための人生を選択しようとするとき、人は必ずしも100%の理解を得られるわけではないということを思いました。